母を看取って思った事がありました。
私が母の元に生まれた理由は何だったのか?
人が生まれる時、両親を選ぶと言われています。
私は意図を持って、父と母を選んで生まれてきています。
それは何なのか。
葬儀に際して、近所の方々からは、
母はいつも気遣いをする人だったと言われました。
気遣いとは、人にも、自分にも、制限をかけて、
生きて来たことなのだと思いました。
私が健康のために肉を食べろと言うと
母はコレステロールは体に良くない、
脂身も良くない、塩分も控えなければと、
自分に制限を掛けていました。
また、くよくよと考える心配性でもありました。
『考えても解決しないことには精力を使わないように!』
私は、かなり口うるさく言ってきました。
自分の枠からあまり出ないように毋は生きてきたと思います。
もう少し、自分も人も許し、人を頼れば、
もっと楽しく生きることができたのではないか
と思います。
父は7年前に他界しました。
父も自分の世界を生きていました。
自分の尺度で考え、人を評価していました。
父の自分中心の行動にかなり引っ張りまわされた、
母の愚痴を私は良く聞かされました。
父はもっと広い世界で生きたかったのではないか
と思います。
私がこの両親を選んで生まれてきた理由は、
自分中心の狭い世界をもっと広げて生きなさいという
テーマを与えられているからだと思いました。
私自身、自分中心の行動が原因で、50過ぎてから離婚に至ったのも、無関係でないと思います。
しかし、単身となったお蔭で、海と山に恵まれた町に1人で住み、やってみたいと思っていたことに、制限なくアクセスできました。
自然との一体感、共に行動する仲間との一体感にとても癒されました。
自分をアピールすること、人と優劣をつけること、
何か見返りを期待することは疲れます。
そんなことは、どーでも良いことだと、
海、山、川、風、木、土、雲、水、生き物が教えてくれました。
自分中心の世界から向け出して、
誰かのために自分が出来ることをしている方が、
気持ち良く心が楽です。
それを実践していくことが
供養になるのではないかと考えています。
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